「上杉雪灯篭まつり」戦国武将を巡る山形県米沢への旅!by キャデラック XT5 / Vol.27①
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キャデラック・シボレーの魅力を通じて、仙台・宮城、さらには東北の絶景・食・文化をお伝えさせていただくブログ、本日 Vol.27 でございます。是非ご覧下さいませ。
Vol.27 【 戦国の雄ゆかりの彼の地へ・上杉雪灯篭祭り 】
今回、XT5と訪れたのは山形県の最南端に位置する置賜地方・米沢へ!
置賜地方・米沢には、戦国武将の歴史が残っています。
そんな米沢では、毎年2月に雪の美を楽しむことができる「上杉雪灯篭まつり」が開催されます。米沢の歴史に触れながら「上杉雪灯篭まつり」を目指し出発です(^^)
米沢八幡原ICで高速道路を降り、向かったのは『亀岡文殊(大聖寺)』。
XT5とスマートフォンを連携させ、Apple Car Play を起動!目的地をセットしXT5を走らせます。マップも車載のタッチスクリーンで操作が可能なので、ラクラクと操作ができちゃうんです♪
▽亀岡文殊に到着。
亀岡文殊は、奈良県桜井市の安部文殊院、京都府宮津市の智恩寺(切戸の文殊)とともに、日本三文殊の一つとして有名です。
その歴史は古く、平安時代の大同2(807)年に徳一上人(当時の奈良東大寺住職)が、平城天皇の勅命を受けて、中国五台山より伝来した文殊菩薩を、ここ亀岡の地に移したのがはじまりと伝えられています。
知恵をつかさどる文殊菩薩を祀る亀岡文殊は、学問の神様として知られ、合格祈願のために県内外から多くの参拝者が訪れているのだそうです。
杉並木の参道には石灯篭や地蔵様が安置されており、古くからの歴史の雰囲気が漂っています。
「春の夜は 桜に明けて しまひけり」と松尾芭蕉句碑もありました。
雪で覆われた参道も風情があり心落ち着きますね(^^)
他にも歴史ある建造物が。
◯鐘楼堂
亀岡文殊の鐘楼堂は、伊達政宗公が天正19(1591)年に古鐘を奉納したお堂です。
そして、いよいよ本堂!
◯亀岡文殊堂
本堂の周りをぐるっと周ってみるとここにもまた、様々なものがありました。
本堂のすぐ横にあるのは「大黒天」。
両手で尊像を抱き、「軽く哉なり給え」と念ずれば、次第に軽くなり、「重くなり給え」と念ずれば重くなり、また、念願達成のときには軽く持ち上げられるそうです!
裏に回ると「利根水(りこんすい)」があります。
知恵の水といわれる、この水を飲むと知恵を授かるのだとか!この日は寒くて水が凍っていたのか水は流れていませんでした(;_;)
そして本堂にはたくさんの千羽鶴に合格祈願の横断幕などがありました。
皆さんに良い結果が出るよう祈るばかりですね。
亀岡文殊は学問の神様としても有名なのですが、戦国武将ともゆかりのある場所です。
かつて上杉家重臣である直江兼続の呼びかけで、ここ亀岡文殊堂に27人が集り詩会が開かれました。その詩会には前田慶次も歌人として参加しています。
この時に詠まれた詩歌は今もなお残っているのだそうです。
亀岡文殊の学問の神様にご挨拶し、戦国武将の歴史を垣間見ることができたところで昼食へ。
歴史に触れると頭を使うので、頭を使うとすぐお腹が空いてしまうんです….(^q^)
今回訪れたのは、創業明治27年、米沢牛老舗「登起波」。
米沢市の牛肉店の中では一番古くから営業している牛肉店として、確かな品質と味にこだわり、「米沢に登起波あり」といった評価を得るほどの老舗です。
炭火網焼き・しゃぶしゃぶ・すき焼き等があるのですが、本日は看板メニューでもある「すき焼き」をいただきました。
赤身とロースの二種盛り合わせと特選ロースを。
特選ロースはとろけるような柔らかさ!赤身はロースに比べ噛み応えがありますが、噛むほど牛肉本来の風味が口の中でじわっと広がります。
少々味噌が入った登起波秘伝のタレも米沢牛の旨みをさらに引き出してくれます(^^)
そして、登起波には、酒どころ米沢の酒粕と熟成した地味噌に漬け込んだ伝統の逸品があります。
なんとこちらは、皇室献上品として大正14年に昭和天皇にも召し上がっていただいた品なのだそうです!
2階がレストランになっており、1階へ降りると登起波の精肉店があります。
そこでは米沢牛の様々な部位が量り売りされている他、ハンバーグ等も販売されております。
せっかくなので、お土産に購入!登起波直売の米沢牛ということもあり、仙台のお店で買うよりビックリするほどお手頃価格でした♪
訪れた際は、是非1階へも立ち寄ってみて下さいね。
▽次に向かうは、前田慶次ゆかりの品々を展示している「宮坂考古館」。
前田慶次が所用したと伝えられる甲冑や徳利、笠、書状など縁の品を展示しています。
特別に撮影の許可をいただく事ができたので、少しご紹介させていただきます。
まずは、なんといっても外せない「前田慶次の甲冑」!
全身の朱色が迫力を感じさせる甲冑です。
その他にも上杉謙信や直江兼続など戦乱の世を賑わせた武将達の甲冑や火縄銃なども見る事ができます。
前田慶次は文武両道に優れ、自由奔放で破天荒な振る舞により、天下御免の傾奇者(かぶきもの)として知られる武将。
その傾奇ぶりや正義感の強さは小説や漫画で描かれており、宮坂考古館では、その小説や漫画も読むことができます。
直江兼続との親交により上杉景勝の家臣となり、その後は他家からの誘いを断り米沢で生涯を全うしたといわれ、米沢には慶次の遺品や史跡が数多く残っているのだそうです。
漫画を読めば分かる前田慶次の男前っぷり!ドラマとなり放送された事もありますが、まだよく知らないな~という方は是非一度読んでみて下さい!
続いては、亀岡文殊や宮坂考古館で前田慶次と一緒に名前が出て来ていた「上杉家 直江兼続」の史跡を辿りたいと思います。
▽上杉家廟所
昭和59年(1984)全国の大名家墓所としては5番目に、国指定史跡として登録。
上杉家歴代藩主の廟所で、戦国時代の名将上杉謙信の廟を中心にして、その両側に12代までの藩主の廟が並んでいます。
上杉謙信の遺骨は、越後春日山から会津若松を経て、1601年に米沢城本丸へ移され、明治9年に現在の場所に移葬されました。
上杉謙信の廟屋から向かって左が上杉家二代「初代米沢藩主の上杉景勝」の廟となります。
杉木立の静寂の中に立ち並ぶ歴代藩主の廟屋は、上杉家と米沢の長い歴史を感じさせます。雪化粧をした石灯篭や藩主の廟の姿も趣きがあり、威厳の雰囲気が漂うのも冬ならでは。冬だからこそ味わえる景観を楽しむことができます。
▽春日山林泉寺
直江兼続と妻・お船の墓がある上杉家の菩提寺。
新潟の上越市に建てられた寺が景勝の移封に伴って、会津を経て米沢に移されました。直江兼続のほかにも、上杉家の多くの重臣たちがこの寺に眠っています。
こちらが直江兼続夫妻のお墓。
直江兼続は愛妻家としても有名ですが、隣同士のお墓(向かって左が兼続、右が夫人のお墓)と、仲の良さが窺えるようでした。
雪の寒いなか、身を寄り添っている様にも見えてきますね。
次に向かうは、米沢の歴史が大集結している「米沢城」へ!!!