Vol.5 齋理の雛まつり と いちご狩り で味わう春 × キャデラック CTS / Vol.5 ①
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キャデラック・シボレーの魅力を通じて、仙台・宮城、さらには東北の絶景・食・文化をお伝えさせていただくブログ、本日Vol.5でございます。是非ご覧下さいませ(^O^)
Vol.5【 豪商の夢後辿る初春の仙南 】
宮城仙南には、まるで大正,昭和の時代にタイムスリップしたような気持にさせる場所があります。そこは、仙南広域の中でも南端に位置する”丸森町”にあるのだそうです。
そこで、今回の旅のお供、CTSと一緒に丸森町へと出発!
CTSに乗り込むと、室内に漂う上質な空間に息を呑んでしまいます。コナブラウンのフルレザーのゆったりと寛げるシートに、インテリアを彩るのは、華美を削ぎ落としたモダンなウッドや上品にあしらわれたスウェーテッドマイクロファイバー、細部にまで感じる高級感溢れるこだわりが詰まった室内。今回の旅もゆったりと快適に、上質な空間に浸りながら過ごす事ができそうです。
丸森町へは、仙台宮城ICから東北自動車道に入り、仙台南JCより仙台南部道路経由の仙台東部道路(常磐道)で南下し山本南スマートICで降り向かいます。
高速道路を降り丸森町へと車を走らせていると広域農道が広がり、のどかな気持ちになりました(*^^*)
丸森町へ入り、向かったのは「 蔵の郷土館 齋理屋敷 」。今の季節は “齋理の雛まつり” が開催されており、享保雛や古今雛、吊るし雛などがそれぞれの蔵の中に展示されているのだそう。
齋理屋敷の中へと足を踏み入れる前から、この蔵構えに歴史を感じます。この先にどんな建造物やお雛様が待っているのか、わくわく(^^)
齋理屋敷は、江戸時代後期から昭和初期にかけて、呉服・太物の商売に始まり味噌・醤油の醸造、縫製業など幅広い事業を展開し、七代にわたり栄えた豪商「齋藤屋」の屋敷跡。代々の当主が理助を名乗ったことから「齋理」と呼ばれるようになったそうです。
その屋敷および収蔵品すべてを町が寄贈を受け、「蔵の郷土館」として開放したのが齋理屋敷。当時の衣類や美術品などが展示されている7の蔵(1棟非公開)と2つの邸宅が奥には続きます。さらに、平成10年には、館内12か所の建造物が国の登録有形文化財に認定されたのだとか。
それではさっそく、齋理屋敷の中へと足を踏み入れます!
その前に….上の写真でもご覧いただける2つの蔵。こちらも登録有形文化財に登録されている建造物なのです。
○店蔵
嘉永元年(1848)に造られた齋理では最も古い蔵になります。1階で呉服太物の販売、2回を商品の収納に使用していたのだそうです。
○嫁の蔵(よめごのくら)
明治36年建築。材料を吟味した、齋理では最も立派な造りになっていて、かつて「宝蔵」と呼ばれ使用人は入ることを許されなかったのだとか。
そして、嫁の蔵の入口の引き戸の板は、樹齢四百年の欅の1枚板を使用したものだそうです!さすがは材料を吟味した蔵!樹齢四百年の欅の木、どれだけ大きくて立派な欅だったのだろうかと…想像もできません(゜o゜)!!!
その蔵の中には、齋理屋敷の方々が使用していたであろう食器を見ることができます。伊万里や九谷など繊細で豪華な絵柄が描かれた、様々な食器が並びます。
齋理屋敷の中へと進んで行くと、奥まで続く敷地の広さに驚きます。なんと6535平方メートルの敷地が広がっているのです!早く奥へと進みたい気持ちを抑えて、一つずつじゅんぐりと巡っていきたいと思います。
○こちらの建造物…皆様は何に見えるでしょうか!!
左端に「ゆ」の文字がある通り、こちらはお風呂。「石風呂」とされ登録有形文化財にも登録されております。
明治の終わりころに親類の反対を押し切って建てたといわれているのですが、この石風呂の利用方法を聞いてビックリ。なんと、別の場所で湯を沸かし運び入れる方法で利用され、夕方に入るためには朝から準備をしなければならなかったそうです!
最初はこの利用方法で造られたお風呂も時代と共に進化し、今では自動でお風呂が沸くようになり、この便利すぎる時代に感謝です。この石風呂を利用していた代々の齋理の方が、今のお風呂を見たら驚き腰を抜かすのではないでしょうか(^^)
○居宅
蔵に比べて住居には資金をかけなかったようで、痛みが激しく、以前の建物のイメージを残し昭和63年新築となったそうです。
当日は”齋理のひな祭り”が開催されている事もあり、居宅の中にはたくさんの雛人形や吊るし雛が展示されていました。
昔ながらの享保雛や古今雛も飾っており、色々な表情のお雛様を楽しむことができます。
吊るし雛や飾りも一つ一つ手作業で、細かい部分まで丁寧に作り上げられていました。繊細でとても可愛らしい飾りに囲まれた空間にいると、顔がほころびます(*^^)
素適なお雛様をじっくり堪能したところで、奥へと向かいさらに進みます。
○童の蔵
大正時代に建築された、齋理の中で1番小さく新しい蔵。小さいながらも凛とした佇まいです。
この蔵の中では、齋理の人々が遊んでいたであろう遊び道具や人形を見ることができました。
静かな空間の中で屋敷の中を歩いていると、江戸後期からの建造物・工作物に囲まれ、本当にタイムスリップしたような気持ちにさせられました。この空間の中に居るだけで和やかな気持ちになります。まったりとしていたい気分ですが、まだまだ豪商「齋藤家」が残した建造物が続きます!
○時の蔵
明治後期の建築で「質感」「宝蔵」と呼ばれ、骨董品などが納められていたそうです。
この蔵の中には、甲冑・カレンダー時計・二階には代々の人々の写真や肖像画が飾られております。
奥へ進むと洋風な建築物が見えてきます。
○新館
この場所には元々大きな倉庫作業場が建っていたそうですが、痛みがひどく取り壊しとなったそうです。その後、平成十年七月に齋理がもっとも栄えていた大正時代の洋風建築から意匠を取り入れた、この新館が建てられました。
新館の中も綺麗な洋風な造りとなっています。お雛様の展示もあり春を感じさせる一室となっていました。
2階へあがると、今までの齋理を記録した展示室が。
なんと、ここにはアメリカを感じさせる写真がありました。昭和初期の写真で、なんとサイドカーまで付いた「ハーレーダビッドソン」に乗ってポーズを取っている写真。なんとも良い笑顔!いつの時代も変わらぬかっこよさですね(^^)
そして、昭和初期の齋理周辺を再現したジオラマが展示されています。ミニチュアで昭和初期の町並みが綺麗に再現されておりました。歩いている姿や働いている姿、食事をしている姿など、いろいろな姿が描かれていて、小さい姿がとても可愛らしい展示になっています。
これだけではなく、齋理の屋敷には業の蔵・住の蔵や水神・屋敷神などのここでは紹介しきれなかった建造物がまだまだたくさんあります。そして、それぞれの蔵には1階から2階にかけて、江戸後期から残る宝や収蔵物などが展示されており、魅力が詰まった屋敷になっています。
齋理屋敷に建つ様々な蔵や建造物は、当時の暮らしを連想させ、豪商「齋藤屋」の豪華さや繁栄を感じさせるものでした。それだけではなく、屋敷に残る庭や池などの自然が江戸後期から続くこの場所に穏やかな時間を作り出し、どこか懐かしく心まで穏やかにさせてくれます。
百年以上前からあるこの屋敷が今もなお残り、時を経て私たちが足を踏み入れているのだと思うと感慨深く、不思議な気持ちになりました。
是非、江戸後期より続いた豪商「齋藤屋」の屋敷跡「齋理屋敷」で、昔の人々の暮らしに思いを馳せ、悠久の時間が織りなす空間をゆったりと堪能してみてはいかがでしょうか(^^)
“齋理の雛まつり” は、4月1日まで開催されています。春の訪れを感じながら、お気に入りのお雛様を見つけてみて下さい。
齋理屋敷で江戸後期から続く建造物を満喫した後は、四季折々を間近で感じることの出来る「阿武隈ライン舟下り」へ。
阿武隈川は、全長239キロメートルで東北では北上川に次ぎ長く大きな河川。長い間重要な物資輸送路として利用されてきました。古くは年貢米に始まり、明治に入って木材、木炭、石材などの輸送と、昭和の初めまで、舟運(しゅううん)が栄えていたそうです。この舟運のなごりを現在に伝えるのが「阿武隈ライン舟下り」です。
「阿武隈ライン舟下り」は、名勝・奇岩が多い阿武隈川の渓谷約4kmを往復する、約8kmの周遊コース。舟運のなごりを伝えるだけではなく、ゆったりとした川の流れに身を任せながら、両岸に四季折々を感じることができる風景が広がり、季節の訪れを楽しませてくれます。
舟下りをしながら、春には季節のお弁当、冬には鍋、など絶景を見ながらお腹も満たすことが出来ちゃいますよ(^q^)
是非丸森町へ訪れた際には、丸森町の歴史と共に時代を過ごしてきた「齋理屋敷」や「阿武隈ライン舟下り」に触れ、時の流れを感じてみてはいかがでしょうか。
丸森町にある歴史に触れた後は、冬から春にかけて味わえる名物、海の幸を求めて山本町へと向かいます!!